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noteメンバーシップを2024年7月から始めました。Keiが日常的に実践するミクロレベルのソーシャルワークで得た失敗経験を共有し、同じような失敗を予防していく狙いがあります。Keiは学者ではないので体験談が中心ですが、必ずみなさんの実践に還元できます。
みなさんこんにちはKeiです。
救命救急センターが設置されている病院で医療ソーシャルワーカーとして働いている社会福祉士9年目です。
社会福祉士取得後、最速で認定医療ソーシャルワーカーと救急認定ソーシャルワーカーを取得しました。
noteとX (フォロワー2,400人以上)を500日以上毎日更新しています。
ソーシャルワーク関連のブログも発信中です。
本日は、『倫理を担保するには反復しかない?』というテーマを深掘りします。
切羽詰まった状態で倫理的に振る舞うためには、平時からの反復が必要と理解していながら、これから書くことすべてに納得しているわけではありません。
ですが、現時点での思考を書き記しておこうと思います。
反復で、体は勝手に動く
軍隊の訓練では、砲火を浴びながら、どのように発砲し、思考し、コミュニケーションを取るか。
そうした行動を、入念に計算された習慣として体にたたき込まれるそうです。
戦場での命令も、無意識にできるようになるまで繰り返し、練習した行動を引き出すように設計されています。
「基地をつくる」「戦略を立てる」「攻撃にどう備えるかを決める」といった判断も、決まった手順を繰り返すことで身につけていきます。
軍隊という組織は、反復によって行動を体に染み込ませているのです。
ソーシャルワークにも同じ構造があります。
追い込まれた状況ほど、平時に体へ染み込ませた行動が表れます。
- 忙しさ
- 疲労
- 時間的な制約
- 組織の都合
- 忖度
こうしたタイミングが重なったとき、「倫理的に判断しよう」と頭で考えているだけでは、簡単に判断がぶれます。
「ソーシャルワーク」という学問を学んでいたとしても、所詮ソーシャルワーカーも人間だからです。
よって、平時から「倫理綱領」を意識して振る舞うことを繰り返し、倫理的に行動するための型を体に染み込ませておくことが大切です。

「この説明、何回目だ」が頭をよぎる瞬間
忙しさに追われているとき、同じ説明を何度も繰り返していると、「この説明、何回目だ」と頭をよぎることがあります。
私は、「締め切り」や「次の予定」といった時間に追われるほど、こうした感情が顔を出しやすくなります。
私にとっては、もう何度説明したか分からない内容でも、その人にとっては初めてです。
分かっているつもりでも、疲れていると「また同じ説明か」と、うんざりしてしまうことがあります。
こうした感情が生まれる瞬間こそ、自分の倫理が試されます。
「何回説明しても分からない人だ」
「この人は理解できない人だ」
そう決めつけてしまえば、目の前のクライエントを、過去に出会った誰かと同じように見てしまうことになります。
バイスティックの7原則にある非審判的態度は、「嫌な感情を持たないようにすること」ではありません。
嫌な感情が出てきても、それを理由にクライエントを決めつけないことです。

反復によって鍛えたいのは、感情そのものを消すことではありません。感情が浮かんでも、別の行動を選べる状態です。
「何回も同じ説明をしてしんどい」という感情より先に、「このクライエントにとっては、今が初めてだ」という行動の型が出てくる。
感情を消そうとするより、感情があっても倫理的に振る舞える型を身につけておく方が、現実的です。
「反復」を見定める
ここまでの話をまとめると、「倫理的に振る舞うために、倫理的な行動を反復する」ということになります。
ところが、ここでひとつ問題が起きます。
「この説明、何回目だ」という反応も、よく考えれば反復から生まれています。
何度も類似のケースに接して、何百人ものクライエントとかかわってきた経験が積み重なった結果、目の前のクライエントを見た瞬間に、「また同じ説明だ」という反応が自動的に表出します。
つまり、n=1を守るための型も、クライエントをカテゴリーで見てしまう反応も、どちらも経験の蓄積から生まれているということです。

目の前のクライエントについて「今回はどうなのか」と確認することを繰り返せば、それがn=1で見るための型になります。
逆に、「このタイプの人はこうだ」と過去の経験を当てはめ続ければ、カテゴリーで見ることが型になってしまうのです。
「意図的に練習した反復」は良くて、「無意識に染み付いた反復」は悪いと整理できれば話は簡単なのですが、本当にそれだけでしょうか。
意図的に身につけた型が、いつか思考停止につながることもありますし、何気なく身についた経験則が、目の前のクライエントを助けることもあります。
なので、「反復には良いものと悪いものがある」と簡単には言い切れなくなりました。
境界線は、まだ引けていません
反復は、ソーシャルワーカーの判断を支える武器になる一方で、過去の経験を目の前の人に当てはめるクセにもなります。
その境界線は、私自身まだ明確な答えを持っていません。
ただ、今の自分なりの暫定ルールはあります。
「その思いを、事実として固定していないか」を確認することです。
「このクライエントは何度説明しても分からない」と思ってしまったとして、そこで「だから、この人は理解力が低い」と決めつけてしまえば、その思いはいつの間にか「事実」に変わります。
しかし、「今、自分はそう感じた。でも、本当にそうなのか?」と立ち止まることができれば、同僚や先輩に「今日、こんなことを一瞬思ってしまった」と話すことができます。
誰かに話せば正しい答えが出るわけではありませんが、自分の中だけで完結させず、一度外に出してみて、自分の判断を検証にかけることが今のところ現実的な方法だと思っています。
もちろん、この暫定ルールが正しい保証はどこにもありませんし、「検証できているから大丈夫」とも言い切れません。
それでも、境界線が引けないことを理由に考えることをやめるより、今の自分なりに線を引き、間違っていたら引き直すの繰り返すほうが成長につながります。
ソーシャルワーカーとして経験を積むほど、判断は速くなります。
「このケースなら、たぶんこうだ」と思える場面も増えていくでしょう。
だからこそ、「これは経験から出てきた判断なのか。それとも、経験に縛られた判断なのか」とブレーキを踏むことが重要です。

反復して、型を設計し、その型を疑う。
もしよければ、あなたなら、この境界線をどこに引くのか教えてください。
私自身も、答えを探しながら、今日もソーシャルワーク実践を反復します。
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ではまた。


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