noteメンバーシップを2024年7月から始めました。Keiが日常的に実践するミクロレベルのソーシャルワークで得た失敗経験を共有し、同じような失敗を予防していく狙いがあります。Keiは学者ではないので体験談が中心ですが、必ずみなさんの実践に還元できます。
みなさんこんにちはKeiです。
救命救急センターが設置されている病院で医療ソーシャルワーカーとして働いている社会福祉士9年目です。
社会福祉士取得後、最速で認定医療ソーシャルワーカーと救急認定ソーシャルワーカーを取得しました。
noteとX (フォロワー2,400人以上)を500日以上毎日更新しています。
ソーシャルワーク関連のブログも発信中です。
本日は、『「ありえない」といっているお前が「ありえない」』というテーマを深掘りします。
「介護保険、使ってないなんてありえない!?」
「この患者さん90歳で独居だったのに介護保険申請していないとかありえなくないっすか?」
病院では、しばしばこういったフレーズを聞くことがあります。
#こんなカジュアルではないかも
言っている本人に、悪気はまったくありません。
介護保険の制度を知っていて、その便利さも知っているからこそ、「なぜ使わないのだろう」という発想より先に、「ありえない」という言葉が出てきてしまうのです。
一方で、「介護保険使ってないなんて、ありえなくないっすか?」というフレーズの主語は「制度を知っている自分」です。
クライエントが「どのような生活をしてきたのか」「どのような事情があるのか」は、まだ何もわかっていません。
むしろ、「介護保険のサービスを利用しなくても独居で生活できていた」と捉えることができるかもしれません。
#リフレーミング
急性期病院で長く働いていると、制度のことが当たり前になっていく一方で、その「当たり前」は、自分だけの当たり前かもしれません。
その「ありえない」は、あなたの当たり前
介護保険を利用せずに生活している人には、それぞれの理由があります。
- 経済的に自己負担が捻出できない人
- 申請の手間そのものが、今の生活の中で重すぎる人
- 他人が家に入ってくることに、強い抵抗がある人
理由は無数にあって、しかもその全部が、本人にとっては切実です。軽々しく「ありえない」で片付けられるような話ではありません。
相手の生活の文脈を知らないまま、こちらの物差しだけで判断するプロセスは、支援というより「採点」です。
過去に、私も同じような聞き方をしていたことがありました。
「なんでこの制度を使わなかったのですか?」と聞いた瞬間、相手の表情が少し硬くなる。その変化を見て、「責めるつもりはなかったのに」と反省したことが何度もあります。
同じことを知りたいだけでも、「これまで、どんなふうに過ごしてこられたんですか」と聞けば、返ってくる話はまったく異なります。
聞き方ひとつで、その場は情報収集にも、尋問にもなります。

情報格差は、加速している
ソーシャルワーカーにとっての「当たり前」は、専門用語と制度知識の分厚い蓄積の上に成り立っています。
- 地域包括ケアシステム
- 地域包括支援センター
- 成年後見制度
- 基幹相談支援センター
- 自立支援医療
ソーシャルワーカーにとっての日常語は、クライエントにとっては初めて聞く外国語です。
外国語で話しかけておいて、理解されないことに苛立つのは、さすがに筋が違います。
伝わらないのは、クライエントの理解力の問題ではなく、ソーシャルワーカーの翻訳不足の問題であることの方が、圧倒的に多いのです。
制度の説明を一方的にして選択肢を提示するだけでは、退院支援に参加できません。
クライエントの現在地を把握してから、初めて橋がかけられます。
情報格差は、悪意なく生まれます。
誰かが意地悪をしているわけではなく、ただ単純に、日々触れている情報の量と種類が違うだけです。
格差そのものを責めても意味がありません。格差があることを前提にして、どう橋をかけるかを考える方が建設的です。

「やる気」と「機会」を混同するな
「使わないなんてありえない」という発言の裏には、「知らない」を「やる気がない」に誤変換があります。
情報が届いていないだけなのに、「意欲の問題」として処理してしまったり、機会がなかっただけなのに、「怠慢」だと判定してしまうといった誤変換は、驚くほど自然に、しかも無意識のうちに起きます。
厄介なのは、「知らない」を「やる気がない」と誤変換をするソーシャルワーカーほど、“自分の当たり前”を疑わないということです。
知っていることが前提になっていて、知らない状態を想像する思考回路そのものが働きません。
これは、能力の低いソーシャルワーカーだけではなく、むしろ知識が豊富で、現場経験も長い、有能なソーシャルワーカーほど起こしやすい誤りです。
心理学ではこれを「知識の呪い」と呼びます。
一度「知っている側」になると、知らなかった頃の自分の感覚を想像するのが難しくなる
知識の呪い
自分の常識と相手の常識。その距離を測り忘れることがあります。
悪気はなくても、善意や知識があるからこそ、無意識に相手を下に見てしまうことがある。パワハラにも、似た構造があります。
この構造は、「もっと手厚くすればいいのに」という発言にも、そのまま当てはまります。
理想のサービスを語るのは簡単です。
でも、「それを誰が払うの?」という話になると、途端に出てこなくなります。
「こうしたほうがいい」と言う人と、「じゃあ、どうやって実現する?」を考える人は、必ずしも同じではありません。
そして、その調整役をするのも、多くの場合がソーシャルワーカーです。
多職種連携でも、同じ構造が繰り返されます。
リハビリにはリハビリの、看護には看護の、医師には医師の「当たり前」があります。
専門性が高くなるほど、その「当たり前」が強くなるからこそ、「自分が知っていることを、相手も知っているとは限らない」という視点を忘れないようにしたいものです。
翻訳者としてのソーシャルワーカー
「やる気の問題」として捉えれば、仕事は「説得」ですが、「知らないだけ」と捉えれば、「翻訳」になります。
同じ支援でも、相手へのリスペクトは大きく変わります。
「説得」は、相手を動かすことを前提にしているのに対して、「翻訳」は、「相手がすでに持っている判断力を、ソーシャルワーカーの言葉で橋渡しすること」を前提にしています。
どちらの前提に立つかで、面接の空気も、その後の関係性も、大きく異なります。
「介護保険使ってないなんて、ありえなくないっすか?」と口にする前に、一度だけ聞いてみてください。
「なぜ、使っていないんですか?」ではなく、「これまで、どんなふうに過ごしてこられたんですか?」と。
問いの形を少し変えるだけで、相手から返ってくる言葉は変わります。
「なぜ使わないんだろう?」と立ち止まるか。
「使わないなんてありえない!」で終わるか。
その差は、知識の量ではなく、相手の「当たり前」を想像できるかどうかです。
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ではまた。


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