noteメンバーシップを2024年7月から始めました。Keiが日常的に実践するミクロレベルのソーシャルワークで得た失敗経験を共有し、同じような失敗を予防していく狙いがあります。Keiは学者ではないので体験談が中心ですが、必ずみなさんの実践に還元できます。
みなさんこんにちはKeiです。
救命救急センターが設置されている病院で医療ソーシャルワーカーとして働いている社会福祉士9年目です。
社会福祉士取得後、最速で認定医療ソーシャルワーカーと救急認定ソーシャルワーカーを取得しました。
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本日は、『「手術した」と「退院した」は、同じ扱い!?』というテーマを深掘りします。
「退院した」「しなかった」で片づけられる仕事
医師の「手術した」のフレーズの中には、術式の選択、リスクの見積もり、術中の判断の連続が詰まっています。
でも、医師以外の人の多くは、その言葉を「手術した」か「しなかった」かの2択で受け取ります。
中身を見ない(見えないのかも)まま、白か黒かで判断されるのです。
これって、実はソーシャルワーカーの「退院」もまったく同じ構造です。
退院支援は、本人の思いを確認し、家族と話し合い、多職種と連携しながら、必要な社会資源を一つひとつ組み立てていくプロセスです。
しかし、退院支援の結果は、「退院した」か「しなかった」かの2択です。
つまり、「専門性が高い仕事ほど、外からの解像度は粗くなる」ということです。
これは医師もソーシャルワーカーも変わらない、普遍的な構造です。
退院後に患者さんやご家族の生活が落ち着いていれば、「スムーズに退院できた」という印象が残ります。
#その印象すら残らないかも
一方、その裏では、患者さんの意思を何度も確認し、家族と話し合い、多職種と調整を重ね、利用できる社会資源を一つひとつ組み立てています。
- どのタイミングで本人に説明するか
- 誰から家族へ話してもらうか
- どの制度を優先して使うか
そうした判断や工夫は、すべて結果の裏側に沈みます。専門的な仕事は、うまくいくほど、中身が見えなくなる。皮肉な話です。
ただし、ここにひとつ、見過ごせない違いがあります。
同じ白黒判断なのに、温度が違う
医師の「手術」が白黒つけられても、そこには敬意が残ります。
「手術」という見えないブラックボックスに対して、無意識に「きっと複雑なんだろう」と補完してくれるからです。
そこには以下のような心理が働いています。
ある集団や職業に対して、「こういうものだ」という固定的なイメージを当てはめること。
ステレオタイプ
「医師=高度で専門的」
「ソーシャルワーカー=調整役、事務的」
一方、ソーシャルワーカーの「退院」は違います。
「電話して、日程調整して、送り出すだけでしょう?」といったイメージを持たれやすく、「やろうと思えば誰でもできる仕事」と受け止められがちです。
見えない部分は「複雑さ」で補完されるのではなく、「単純な作業」で補完されてしまうのです。
同じ専門職でありながら評価のされ方が異なる理由は、大きく分けて2つあります。
ひとつは、「失敗の伝わりやすさ」です。
手術は生命や身体に直接関わるため、難しさやリスクを多くの人が想像できるため、「きっと高度なことをしている」と受け止められやすいのです。
一方で、退院支援の失敗は違います。
再入院や家族の孤立が起きたとしても、それは数日後、数週間後、あるいは数か月後かもしれません。
その頃には、誰も「あの退院支援が原因だったのでは」とは考えません。
「何が足りなかったのか」「どの判断が結果を左右したのか」を外から知ることは、ほとんどできません。
もうひとつは、参入障壁の体感差です。
「誰でも手術はできない」は直感的にわかりますが、「誰でも退院支援の電話はかけられる」という表面だけを見ると、専門性への想像力は働きません。
私は、以前働いていた病院で入退院支援加算1の仕組みづくりに関わったことがあります。
組織のフローを見直し、多職種の合意形成を図り、現場が回る仕組みまで落とし込みました。
しかし、それを知らない人にとっては、所詮「退院の日程を決めた人」でしかありません。
加算という結果は見えても、その結果に至るまでの調整や判断の積み重ねは、見えないままです。
見えないほうが得、という罠
プロセスが見えないこと自体は、悪いことではありません。
ソーシャルワークの調整は、時に生々しさがあるので、涼しい顔で退院日を決めてしまうことは、ある種の職人技でもあります。
「やっている感」を出さないことは、私がずっと大事にしてきた姿勢でもあります。

一方で、見えないことに甘えると、評価の土俵に乗れなくなります。
医師の手術には、診療報酬という評価の仕組みがあります。
術式の難易度は点数として反映され、「どれだけ難しい医療を行ったのか」が、ある程度は見える形になっています。
しかし、点数や術後の画像比較を見せられても、患者さんや家族は手術の中身が理解できているわけではありません。
病院に9年ほど勤めている私ですら、専門用語だらけの手術記録を読んでも、正直よくわかりません。
それでも、多くの人は医師を信頼します。
医師という資格や診療報酬という制度が、「この仕事には専門性がある」という社会的な信用を支えているからです。
つまり、医師の仕事は、すべてを理解されているから信頼されているのではなく、「理解できなくても信頼できる仕組み」が、社会の中に用意されているのです。
同じ内容を看護師やソーシャルワーカーが説明したとしても、「先生から直接聞きたい」と言われることがあります。
違いは、説明の内容ではありません。その説明に、社会的な信用がどれだけ結びついているかです。

ソーシャルワーカーの「退院」には、その信頼を担保する制度的な後ろ盾がまだ厚くありません。
- 社会福祉士・精神保健福祉士といった資格の認知度が低い
- 専門性が可視化されていない
- 診療報酬の貢献度が低い
仕事の中身が見えないことは、「きっと専門的なのだろう」と受け止められるのではなく、「大したことはしていないのだろう」と誤解されることにつながります。
見えないままでは、専門性は伝わりません。そして、伝わらない専門性は、正当に評価されることもありません。
「退院」という結果だけが可視化されて、そこに至るまでの調整の困難度も、危機介入の質も、意思決定支援の丁寧さも、評価軸から抜け落ちます。
白黒の裏側を、言語化してから渡す
今後、ソーシャルワーカーがやるべきことは、「白か黒かで判断されるのはおかしい」と訴えることではありません。
結果で評価されることは、専門職である以上、避けられません。
その結果の裏側にある判断や工夫、調整の積み重ねといったいわゆる「専門性」を言語化して伝えていく必要があります。
「退院しました」で終わらせるのではなく、「その退院を実現するために、何を考え、何を調整し、どんな課題を乗り越えてきたのか」まで言語化する。
これをサボれば、中身は永遠に「単純作業」で埋められたままです。
医師には、点数という制度が、理解を経由せずに信頼を渡してくれる仕組みがあります。
ソーシャルワーカーには、まだ単体の診療報酬がないので、自分の手で、言語化して信頼を積み上げていくしかありません。
「退院した」「しなかった」の一言に負けない解像度を、自分の言葉で持っておくことが、この仕事を続けていくための、静かで確実な武器になります。
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ではまた。


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